【物理の違い 一覧】
空間の構造、その機構と仕組み。性質。
光を伝えてるもの。その空間というものは何か?
電子の正体でもあるんだよね。電子という波の媒体、土台?
波打ってる何物か。何なら波打つか、どういう構造なら波打つのか。
その機構は?やはり粒なんです。満杯の粒が波打つのです。
粒って言っても量子というべきかな。
重さゼロの量子なんです。
アインシュタインが具体的に考察していた重さゼロのエネルギーを
運ぶ媒体、量子。その彼が考えた光の量子で空間は出来てるんです。
その粒の構成する空間の波が、光なんです。
乱暴な言い方をしたら粒でもあり波でもあるんです。
でも、もの凄い乱暴です。
粒でもあり、波でもあるというより、粒の波なんです。
光の量子でもある空間の粒、空間の量子の集合する海の波なのです。
では、その量子とは何か?
重さはゼロなんです。
質量がないんですよ?
メッチャ小さくもない、ゼロです。
無限小微細でも、重さはありますよね?微分の手品を使えば別だが。
微分は、ある時は重さを扱います。そして都合のいい時にだけゼロ。
事実、使い分けているんです。
どちらなの?無限小に分けてしまって、ゼロに見なすの?ゼロなんだ?
じゃあ、無しは集めても無しだね?その数式の中では重さは無しだと
仮にでもいいよ?そう取り決めに置くんだね。どっちなの?
偏微分なんてものじゃない。理屈がおかしい。明らかに整合してない。
だけどそんな屁理屈みたいな話や、重さがあって、それでもゼロやら?
その全部を満足させる回答があるだろ?
その空間には重さがあるんだけど、プラスマイナスでゼロの空間なんだ。
質量って何?重さって何?
引っ張るってことじゃないの?引力。
万有は引力がある。もし、その反対粒子の反物質、斥力粒子があるなら?
その拮抗する、交互に並んで互いが互いに打ち消しあって安定している
きっ抗して格子状に交互に並ぶ空間が、光も物質であることも場でさえ、
構成してるなら?
全て整合するんだよ!解るんだ!機構が、その仕組みが、つまり性質が。
原理の由来もだよ?何故、物質に引力があるのか。光の速さの決まる訳。
何故、宇宙はこうなのか。何故、二乗か反比例なのか。科学法則の理由。
現に光の速さは水中で違う。絶対でない。
光の速さって何?
1秒間に30万kmなんだよね?
その速度って何?
光子がありました。それがエネルギーを運ぶのです。運動速度は
一定で絶対。重さはゼロです。
つまり、自動車が走ってるイメージで速度が一定で加速してない
質量ゼロの粒子を考えてるんだ。
だけどその粒子は同時に波でもあるんだよね?
え??どいう言うこと???わかんないよね。
波であることは間違いなさそうなんだ。
どうやら横波に違いない。重さはゼロのはずなのにエネルギーは
保持し運搬する。
???
何だかわからない。
だけどそういうものなんだ。(無理やり納得するしかない?)
この混乱が解けました。解けますよ?
その正体がわからない光、その存在と構造、機構がわかるなら
何も難しくない。もっと根本的なところで誤解をしてる。
この光の何かわからないイメージが確立されたのは、原子論が
まだまだ固まっていない時代の話なんだ。
イメージが出来てなかったんだ。
水が分子の粒の集まりだというイメージも共通ではなかった。
だから何もない空中を粒が飛んでるイメージしか持てなかった。
波なんだよ、光は波なんだ。粒忘れて、いっそ、忘れて。一旦。
電子も波なんだよ、粒忘れて。原子も波、点の歪みを取り巻く
その大きさの、大半でほとんどの電子が波なんだ、原子は波だ。
電子は粒子性を持ってるけど、粒子じゃない。粒の塊で分解が
出来るものじゃない。粒子性があるといっても粒子ではない。
粒子のような性質を示すから粒子だと言えない。
でも間違いなく波ではある。
電子は波なんです。
何の波か?
空間の波なんですよね?
そうなんです。空間の波です。
空間の波って?でもどう言うこと?
考えないの?
それはアインシュタインの影響を受けすぎ。彼もそこまで
考えてなかった副作用だと思うよ。
信頼の高い人からの催眠暗示は受けやすいんだ。無意識で
強く影響されてるんだよ。自分で解いて。
空間が?何故、波立つ?
波を起こすものって何?
水だとか空気だとかだ?
マクスウェル方程式は、その空間の粘りっていうのかな?
空間のバネを考えたときに考えの着想をしたんだってさ。
例えば水が脆くってボロッと崩れるようなものだったら?
水の波みたいな、あんな波にならないよね?
空間の弾性を考えたんだ。具体的に想像した産物なんだ。
マクスウェル方程式は空間を具体的に考えて現れたんだ。
考えていいんだよ。
マクスウェル方程式もアインシュタインの光の速度絶対も
否定してるけど、彼らは尊敬してるよ。
むしろ僕と同じアインシュタイン大好きの君に語りたい。
光の速さは絶対じゃない。現に空気中と水の中で速度が
変わってるだろ。
理由があるんだよ。
空間には、その波である光には波の仕組みがあるんだよ。
原理は切り分け、諸原理にも理由がある。
光の速度は絶対じゃない。
絶対なのは光の量子速度の時間だ。
因果、物事には理由がある。
言うまでもなく、光の速度が絶対なら、その理由があるんだ。
人類は原理法則を理由のない根本原理だと捉えてきた。
祭り上げてきたって言い直そう。
解らないからだよ。そうと決まってるんだっていう?壁だね。
そこで仕切りくくって切り分けてきた。
その後は論理的で整合して明確なものです。それが科学なんです。
って、ことだったんだけど?
解らない、知らないだけだったんじゃないか?
改めて、原点に返ろう。
「仮説を作らない」とニュートンは高らかに歌ってる。
その考え方の師匠はガリレオだと思う。
言ってることは、「こうかもしれないという予想は立てない」。
不確かなことは言わないで、確実なことだけど示します。
万有引力、物には引っ張る力があり、物体は地面に引かれてる。
そう示したんだよ。
科学はここなんだ!出発点はこれなんだ。
仮説は科学じゃないし、むしろ反するんだ。
だけどそんなこと言ってたら何もたたき台に乗せられないよね。
だから土台に乗せられて論じられて選択されてきた。
地動説、大陸移動説もそうだよね。はじめはトンでも話だった。
今や定説を通り越して事実に扱われてる。
未だに地動説と説が取れないから、仮説の地位まで上がってる。
だけど本来は、嫌われてたんだ。科学、その立場からはね。
僕は光の速さにも理由がある。水で遅くなる割合の理由もある。
重力にも理由がある。そうなってる意味があるんだ原因がある。
出来ればここで順番にその全部を説明していくつもりだ。
マクスウェル方程式は繋げてみましたの式。
マクスウェルの電磁場の方程式は数々の嘘や誤魔化しがあります。
あんな基本的な物理の法則で見事な方程式にそんな馬鹿なと思われるでしょうか。
辛抱して聞いていただけたらと願います。順番に説明します。
マクスウェル方程式は4つの方程式を繋ぎ合わせたものですよね。
繋ぎ方がそもそも無茶なのです。
∇×B、これ、そもそも掛け算じゃないんです。
∇・E、これも掛け算じゃない。
両方は別のベクトルなので、わざわざ記号を分けてあるんです。
だけど掛け算としてしか計算してない。と言うよりご都合で掛け算にしてる。
グラム(㎏)とメートル(㎞)を同じ式の中で一緒くたにしてる感じです。
テンソルだといえばそうなのですが、意味が壊れてる。
この2つの「種類の」ベクトルは式の中で交互変換しています。
電場の高まりと減衰で波のグラフが書かれます。
この電場が磁場を誘導します。
電場の減衰分が何処に行ったのかというと、式では磁場になってるんです。
電場の減る分を磁場が波の形で交互に増えて補ってるのです。
電場が、その変化が、ローテーションの磁場を発生させてエネルギーを失い、
その発生した磁場ローテーションが電場の変位、運動を起こして電場になり、
電場と磁場が交互に変換しているイコールで閉じられた数式なんです。
(エネルギーは減らないわけです。電流を消費してない電磁波の数式です。
この式を電流と磁石の回路に当てはめると、初めに流して発生させた勢いで
永遠に電場と磁場が回路し続けるとの数式になります。数式は回路の作動を
何ら表していません。)
違います。電場は磁場を誘導しません。
根本的にそこですか?
ファラデーさんから否定ですかと思われたかもしれませんがファラデーは
そこにこだわりを持って誘導してると表現したのではないと思います。
磁場は、電場のローテーションです。時間差なしです。
ネジで言えば、進むなら同時に回ってもいるのです。進むことが回るのを
誘導しているというより、一体の動作なのです。区分できない。
進むなら、回るんだよ。誘導してるんだよということでしょうが?そこに
着目して厳密に表現するなら、電流(電荷の変位)と磁場は供回りです。
一つのエネルギーが一体で起こしてる一つの現象です。
一つのエネルギーが電場を作り、その電場が一つのエネルギー分の磁場を
作り、それが交互に時間変位して入れ替わってるという数式なんです。
違います。事実でない。
(これであるなら時間のズレが同一時間で要求されます。磁場が誘導なら
高まりに連れて上がると戻らないんです。
具体的に、1、2、3、4、5、と、ピークを打ち、4、3、2、1、と
下がる電場が磁場を時間差5分の1で誘導して追随するなら電場と磁場の
関係は1-0、2-1、3-2、4-3、5-4となります。
これでは4-5となった後、磁場の5が電場の4を5に誘導引き戻します。
この式はズレ程度ではダメなんです。交互に1-4、2-3、3-2、4-
1、5-0、と最大と無の状態が組み合わさってないといけない。
誘導なんてものじゃない。ゼロとピークの逆組み合わせです。
違います。電場の高まりは磁場の高まりです。同時です。むしろ符号が逆で
同時に片側がゼロの時にピークです。
明確です、ゼロでピークではない。連れて共に高まります。)
現実には違います。一つのエネルギーで電場と磁場を作ってるのです。
一つのエネルギーでネジを回しながら進めている。
仮に2つのベクトルという力を表す電場と磁場はテンソルにも関わらずに
交互に変換しているとしたなら電場と磁場に表現される両ベクトルは対等。
その場合は2つの力は同等で、一つのエネルギーの半分ということになり、
エネルギー1の力で、電場0.5と磁場0.5を生み出してることになります。
つまりこの式では電場の角力が磁場なんです。磁場の角力が電場なんです。
そうではありません。
振り子が揺れます。上に上がりきったところで角力は位置エネルギーです。
その位置のエネルギーが角力となって振り子の進行に変換されて反対側で
再び位置のエネルギーに戻ります。
その交互の変換のように、電場の相手が磁場のエネルギーの数式なんです。
それは明らかに違います。
磁場は電場のローテーションで、ネジは回らなければ1ミリも進みません。
磁場を起こさずに一瞬も電場は動かない。
電場が動けば磁場を動かさずにはおけない。
そこに時間差はありません。
これは同じ現象の裏表なんです。
揺れてる網目のヒモに着目してるのか玉に着目してるのか?同じ現象を
縦から見てるか、横から見てるかの違いでしかない一体の現象なんです。
そのエネルギーは一つから両方が生み出されています。
それに電場は磁場を誘導する式が入っていますが、磁場が電場を誘導する
式はこの方程式には厳密には入っていません。
マクスウェル方程式には「後から」電磁誘導するのだから電場には磁場が
誘導されると付け足されて組み込まれています。
数式の形にした都合上でイコールと結ばれているので数式なら逆回し出来、
対等ですが、それはあくまで数式のルールです。現実そうなるかは別です。
木が燃えて火が起きて煤と二酸化炭素になるという数式が逆戻しに出来て
二酸化炭素と煤から火で木が出来るのだと数式が言ってると言ってみても
現実、そうなるかは数式に「置きなおした都合」で同一でないのですから
別の問題なんです。
数式は絶対じゃなくて、人間の都合で端折って無理やり表現してみただけ、
元の意味合いや性質がなくなるものでもない。消えてはしまわないんだよ。
マクスウェル方程式はやってみた式だよ?科学的根拠は置いておいてだよ。
踊ってみました歌ってみましたみたいな?繋げてみましたって式なんだよ。
だけど何か出てきたじゃん!凄い!ってなったんだけど?無理やりなんだ。
元々は数字遊びみたいなもの、数学好きがパズル作品を披露したんだけど
これは凄い!何か向こう側に真理みたいなものが見える!って感じだけど
意味合いを丁寧に拾っていけば、相当な無理をしてるし事実とも違ってる。
だけど!そこは大事なんだよ?科学なんだから。
オカルトで繋がってて、整合が取れてて、何より美しいい。でも、それだけ
なら科学じゃない。
光を媒体しているものは、空間とは何か。
アインシュタインは特殊相対性理論の前段階で光を伝える媒体を
考えるのを放棄しようと熱心に投げかけています。
アインシュタインの相対性理論では媒体が何であるかを問わない。
その性質の光速が一定であるという前提を認めてしまえば媒体の
性質は問題にならないからというのだ。
光速度は不変、その前提でアインシュタイン相対論の幕が上がり
新しい分野の新たな概念の扉を開くことができるのだというのだ。
媒体が何かわからない、いっそのこと光の速度は根本原理なだと
認めて仕舞おうというのである。
棚上げともとれるし、否定か、放棄したともとれる。
そのために未だに、アインシュアインはエーテルの存在を否定し
たのだというものと、そうではない否定してないと言う者に別れ
ている。
アインシュタインのカリスマは抜群で光は空間を伝播するんだと
現在でも何となく落ち着いている。
光の媒体はあります。空間というなら正しいけど、その空間には
ちゃんと構造があります。
波なら水、音なら空気、それぞれ伝えるものがあるのです。
それは近接で伝わっています。有限時間だからです。
伝搬しているのです。放射であっても光の速さで伝わるからです。
光は引力粒子と斥力粒子の対消滅することなく等距離の等間隔で
安定して拮抗する1個毎に隣り合う格子構造状の空間の場の振動、
質量プラスマイナス、ゼロの空の空間構造の揺らぎです。
だから光には質量がないのです。質量が無いわけじゃない足して
プラスマイナスゼロなんです。正と負の質量物の複素平面空間の
運動なので質量物の運動特性を示して尚、質量ゼロなんです。
この矛盾からも空間媒体が不明であり混乱してた元だったけれど、
負の質量が存在している機構空間なら総ての問題は解決なんだよ。
量子力学で複素数、虚数⒤が出てくる正当な理由にもなる。
一見、矛盾であったものが、負の質量、斥力の粒子を認めるなら、
困難であった全部が整合するのです。
アインシュタインが提唱したように考えるのをやめてしまわなく
てもいいのです。性質を具体的に考察して計算も出来るのです。
もし仮に、光速度が不変で絶対のものであるなら?
空間であろうと大気であろうと水であろうと光の速度は不変です。
この時点で、アインシュタインの提唱は前提から崩れてます。
しかしながら実際に光速不変でないのだから理由があるはずです。
どうしてですか?
真空と大気と透明な物質では空間格子構造の格子の間隔の密度が
違っているからです。
光は、この空間振動は、片方粒子とその反対性質粒子に囲まれた
立体的で幅のある量子の次の空間、量子に響き渡る反応の速度で
光の速度は単に空間を伝搬しているのでなく。空間構成の量子を
伝搬しているので、光の速度は厳密には空間の伝搬速度ではなく
空間の量子間での伝搬速度です。
それが時間の基準で、光の速度は空間量子の時間でもあるのです。
量子時間です。時間の量子でもあるのです。
謎の実態がわかるなら、これから更に多くの解明が成ります。
ここからはたいへん多岐の分野に広がります。別けて説明します。
複素数が量子力学で使われる理由、根拠。
現代物理の量子力学において、複素数が普通に使われている。
理由は何だ、根拠を示せ。
というところだけど、それは正しい。
要素の片側が複素平面空間の数の性質に類似しているからなんだ。
偶々の合致、偶然の幸運だ。
量子力学は1と間違えた挙句、ゼロと置いてみた試みを玩んで末、
全く意味合いは不明ながら近いところにたどり着いてる。
それでいいんだよ、陰陽の両粒子の拮抗する場、空の空間場では
両性質は裏と表、どちらかを指してなら片方はマイナスなんだよ。
その合計で拮抗してる構造の空間はプラスとマイナスからなる空、
空間場なんだから、数学的に表現して正の数と負の領域の数とで
ゼロになる式になる。ゼロで綴じてる複素数の式だから数学的に
性質を一言でいうなら、ラプラス方程式の現象事象、事物となる。
この様にして、当然の理由があって複素領域の数を物理科学では
方程式に組み込める。
それがないだろって言ってるんだよ。
科学ではなく根拠のないオカルト話だ。今の量子力学はね。
その陰陽の拮抗する二面性とその両側を行き来する波の性質から
同じ性質の裏側、反対の写像が同時に出現する。
それが広がった場所に伝達の先に同時に出現してるだけだ。
その距離を測ったところ光の速さより早いから伝達が光の速度を
超えてるんじゃないかとされてるけど違うんだよ。起きた振動が
波として等方向に拡散しているのは量子の時間である光の速さで
伝達してる。その両側の距離を足して2倍にして光の速さよりも
早いって?当たり前だ。
量子の時間は光の速さで合ってる。
何でもありの現代の量子力学。根拠を示せ。
そして僕の量子力学仮説では『わからないから決まっていないではなく解ける。』
代数を実際に代入していけばいいんだ。
それは現代人類の量子力学でもやってると指摘もあるかと思いますが、違います。
数学的にそれは間違いです。その数式に数学としての、科学としての理由となる
根拠がない。
だから何故、それをイコール、ゼロに置くのか。
その数がゼロに綴じるという数学的な理由です。科学での動機です。
この数字をこれで計算してみたならば、『何か合う』
これを二回微分したら『何か良さそうだ』
それ数学じゃないから。それ科学じゃないから。大目に見ても仮の仮の話だから。
そしてその根拠は示されないまま先に行く。
まあ、いいよ。今の現代の物理の発展なくして、数学の理解がなくして言うこと
の理解を全くできなかったろうから。
僕はゼロである数式を1に有理化するとする。理由を示す。何故、=ゼロの式を
1にするのか。その意味は何か?その示すものは何か?1にして表すものは何か?
ゼロであるなら、ラプラス方程式の性質の空間場、この空間構造の性質から必ず、
解っていなくてもその空間場ではプラスマイナス、ゼロの空。空間場の根本性質、
全体では振動運動も歪みもトータルではゼロなんだよ。
だから物質を含む諸現象、万象を空の変化したものと捉えていいのだからゼロと
置いて綴じていいのだと言ってるんだ。未知の代数を1個、消してしまえるんだ。
計算が出来るんだとしているんだ。
人類の現在の量子力学は根拠なしにやってみてる。試してみてよかったって話だ。
それは数学的にどうなの?科学としてどうなの?
1にする、それは、エネルギー、振動運動の全体の力、その広がり、移行を捉え、
または、歪みである質量の全体の力の場として捉えるということなんだ。
無暗に1にしているのではない。
量子力学が全ての存在確立を1と置いているのこそ間違えてる。
存在は、そもそも量子力学としての土台から、不確かで何も決まっていないのだ。
その不確定な全てを1と置くのは鼻からの自己矛盾だ。
それを1に置いて確立が求められて、それが現実のも合致しているのだから、
そもそも不確定性原理は論理矛盾から破綻している。違うと自己証明してる。
『わからないから、決まっていない』ではない。解らなかったのは無理解からだ。
無知なのを知らなかったから計算が出来なかっただけだ。
計算が出来なかったから解らなかった、それが決まってないなんてとんでもない。
滅茶苦茶な暴論だ。
論理的に破綻している。科学でも何でもない。頑張って生きようって話なら別だ。
解けるから解る。解るから決まってるとわかる。
それであっても運命は切り開けるから頑張れ。
だけどこれは科学でないし科学でする話でもない。
重力定数が定数であり得ないことのニュートン式証明
重力定数が定数ではありえないことを証明する。
質量物は光の速さまでは加速できない。光の速さまで加速できないのは物質だからだ。
従って質量物が光の速さまで加速する場合は?移動速度は光の速さに近づくに従って
関数に、一定定数ではない比例をして抵抗を受ける。
ならば空間を移動する質量物質は速度の増加量に一定でない比例で空間抵抗を受ける
のだから従ってその合成により
全時間中に失われる運動は移動した全距離の一定定数には比例しない。
従って重力加速度は光の速度を超えられない。近づくにつれて加速は困難であること
から空間抵抗に対して物質は一定比例定数の重力加速度は持ちえない。
それは関数変数である。
以上、証明終わり。
科学を信仰して重力定数を崇拝していないか。
微分定数は厳密な数学においても本当に定数なのかわからないということ。
つまり微分定数が初めて生み出した重力定数が本来の厳密な数学においても
定数である保証がないということなんだ。
具体的には、重力定数が変数である可能性がある。
微分は、その定数の変数である可能性を微分側にその曖昧な性質のもの全て
預けてしまってるんだ。
どうしてその様なことをしたのか?
それでなければ、方程式が解けなかったからだ。
変数が二つであるとするならば、未知の数字が二つになる。
それでは代数が増えて方程式が解けないのだ。
だから重力定数での定数であるという保証なしに定数に仮定してしまって
仮に概算で出したおおよそに相手を推し量ってみるとの手法でもあるんだ。
実際、現実として有効で、周辺の物理状態を表すのに問題がない。
実用的で有意義な手段ではあるのだけど?厳密な数学の産物ではないって
繰り返し指摘してるんだ。
その様なものである微分の解を現在、人類は数学の厳密性の仲間に入れた
ものとして、完全であるかのように信頼しきり、関係する偉人の尊敬から
敬ってしまってる。例えば重力定数を崇拝してる。
それは科学的な態度ではない。科学がその初めに信仰的部分を取り除いて
厳密な論理性で切り開いてきた分野の根本性質から外れてしまってる。
科学なのに崇めてしまってはいないのか?
実際には定数であるのかもしれないが、実験による検証と裏付けが必要だ。
科学なんだから?
それを無しに、重力が変数である可能性は否定できない。科学なんだから。
地球上でピサの斜塔程度の高さから物を落とした実験でなく、高ければ?
重力からより遠い大気圏外からではどうなのか?
地球の大気層で足りなければ木星での重力と大気層厚みの高さも同じか?
そもそも実験してみたことがない。しようと思ったことがない。
当たり前の話だが、ピサの斜塔から同じ大きさの鉄と木の球を落としたら?
鉄の球が先に落ちる。
木の球には空気抵抗で押し戻す力が大きく働く。
あれ?話が違ってない?そうではなかったことになってなかった?
同時に落ちるって実験結果は過ちだ。
その実験結果に基づいて当時の理論は提唱され出来上がったのではないか?
だったら現在の物理科学がそれでも正しいとしてるのは何故か?
真空中であるなら、その通りなのだというのである。
出た、『それでもやっぱり正しい』だ。
誰か実験したの?少なくとも僕が言い出すまでは実験はなかった。
近年までにされているが、ほんの数メートルぐらいまでだろう。
真空のレベルも疑わしい。そもそも真に真空でなければ木製の球と鉄では
時間差が観測されてしかるべきである。そして、真の真空はあり得ない。
それでないというなら、誠に怪しい話である。
それは真空がこのレベルだからこの時間差で、真空のレベルを違えてなら
このように変化が推移する。
従って、真に真空であった場合では違いがないのだという実験はおおよそ
お目にかかったことがない。
重力定数が定数ではなかった場合、高所から落とした速度の加速が一定で
無いことになる。
それに着目された実験はない。それでも信じている。それは科学ではない。
そこが信仰だと揶揄するところだ。
実際、大気中の落下速度は一定程度からは加速しない。その全ての要素は
大気との摩擦のためであるとされているが、それが言えるのは大気のない
同じ実験を検証してのことだ。それを省いた実験結果に証拠の能力はない。
実験らしいことをして、信じろと言っているようなものだ。科学ではない。
オカルト実験の類でしかない。科学者としての態度ではない。
微分は完全な数学ではない。
微分は完全な数学でない。微分の考え方はおかしい。
ビザのようにほんのり厚みのあるものを細切れにしているが等分していない。
言い換えれば、定数変化していないものを無理やり定数にしている。
逆から言うなら、微分定数は定数である保証がない。
定数であることを仮定して(そうでなければ数式が解けないからだ)
変化から定数を括り出して残りを微分としての変化の度合いと切り分けてる。
別の説明の仕方をすると、『微小な変化』なる曖昧な表現でその微小な変化が
等分されていない変化なんだ。
それを等分にざっくばらんに等変化だとすることで相手の掛け算側を無理やり
定数に収めてしまってる数式なんだ。
微分は厳密な数学ではない。
ただ、立体を無際限に刻んだ時には、それは平面を表してるとはいえる。
立方体を無限小に刻んだ時に、それは平面を表してると考えてとらえることは
一定の程度はできるのだ。
だから微分は数学という万全の信頼を寄せて計算結果に全幅の信頼を置いては
いけない。言ってしまえば目安、概算だってことだ。
少なくとも二階微分はサインがマイナスサインになる。マイナスであるものを
いくら集めたところで決してプラスにはならないのだから、二階微分は厳密な
数学でないという証明はされてる。