微分定数は厳密な数学においても本当に定数なのかわからないということ。
つまり微分定数が初めて生み出した重力定数が本来の厳密な数学においても
定数である保証がないということなんだ。
具体的には、重力定数が変数である可能性がある。
微分は、その定数の変数である可能性を微分側にその曖昧な性質のもの全て
預けてしまってるんだ。
どうしてその様なことをしたのか?
それでなければ、方程式が解けなかったからだ。
変数が二つであるとするならば、未知の数字が二つになる。
それでは代数が増えて方程式が解けないのだ。
だから重力定数での定数であるという保証なしに定数に仮定してしまって
仮に概算で出したおおよそに相手を推し量ってみるとの手法でもあるんだ。
実際、現実として有効で、周辺の物理状態を表すのに問題がない。
実用的で有意義な手段ではあるのだけど?厳密な数学の産物ではないって
繰り返し指摘してるんだ。
その様なものである微分の解を現在、人類は数学の厳密性の仲間に入れた
ものとして、完全であるかのように信頼しきり、関係する偉人の尊敬から
敬ってしまってる。例えば重力定数を崇拝してる。
それは科学的な態度ではない。科学がその初めに信仰的部分を取り除いて
厳密な論理性で切り開いてきた分野の根本性質から外れてしまってる。
科学なのに崇めてしまってはいないのか?
実際には定数であるのかもしれないが、実験による検証と裏付けが必要だ。
科学なんだから?
それを無しに、重力が変数である可能性は否定できない。科学なんだから。
地球上でピサの斜塔程度の高さから物を落とした実験でなく、高ければ?
重力からより遠い大気圏外からではどうなのか?
地球の大気層で足りなければ木星での重力と大気層厚みの高さも同じか?
そもそも実験してみたことがない。しようと思ったことがない。
当たり前の話だが、ピサの斜塔から同じ大きさの鉄と木の球を落としたら?
鉄の球が先に落ちる。
木の球には空気抵抗で押し戻す力が大きく働く。
あれ?話が違ってない?そうではなかったことになってなかった?
同時に落ちるって実験結果は過ちだ。
その実験結果に基づいて当時の理論は提唱され出来上がったのではないか?
だったら現在の物理科学がそれでも正しいとしてるのは何故か?
真空中であるなら、その通りなのだというのである。
出た、『それでもやっぱり正しい』だ。
誰か実験したの?少なくとも僕が言い出すまでは実験はなかった。
近年までにされているが、ほんの数メートルぐらいまでだろう。
真空のレベルも疑わしい。そもそも真に真空でなければ木製の球と鉄では
時間差が観測されてしかるべきである。そして、真の真空はあり得ない。
それでないというなら、誠に怪しい話である。
それは真空がこのレベルだからこの時間差で、真空のレベルを違えてなら
このように変化が推移する。
従って、真に真空であった場合では違いがないのだという実験はおおよそ
お目にかかったことがない。
重力定数が定数ではなかった場合、高所から落とした速度の加速が一定で
無いことになる。
それに着目された実験はない。それでも信じている。それは科学ではない。
そこが信仰だと揶揄するところだ。
実際、大気中の落下速度は一定程度からは加速しない。その全ての要素は
大気との摩擦のためであるとされているが、それが言えるのは大気のない
同じ実験を検証してのことだ。それを省いた実験結果に証拠の能力はない。
実験らしいことをして、信じろと言っているようなものだ。科学ではない。
オカルト実験の類でしかない。科学者としての態度ではない。
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