光の速度は絶対じゃない。
絶対なのは光の量子速度の時間だ。
因果、物事には理由がある。
言うまでもなく、光の速度が絶対なら、その理由があるんだ。
人類は原理法則を理由のない根本原理だと捉えてきた。
祭り上げてきたって言い直そう。
解らないからだよ。そうと決まってるんだっていう?壁だね。
そこで仕切りくくって切り分けてきた。
その後は論理的で整合して明確なものです。それが科学なんです。
って、ことだったんだけど?
解らない、知らないだけだったんじゃないか?
改めて、原点に返ろう。
「仮説を作らない」とニュートンは高らかに歌ってる。
その考え方の師匠はガリレオだと思う。
言ってることは、「こうかもしれないという予想は立てない」。
不確かなことは言わないで、確実なことだけど示します。
万有引力、物には引っ張る力があり、物体は地面に引かれてる。
そう示したんだよ。
科学はここなんだ!出発点はこれなんだ。
仮説は科学じゃないし、むしろ反するんだ。
だけどそんなこと言ってたら何もたたき台に乗せられないよね。
だから土台に乗せられて論じられて選択されてきた。
地動説、大陸移動説もそうだよね。はじめはトンでも話だった。
今や定説を通り越して事実に扱われてる。
未だに地動説と説が取れないから、仮説の地位まで上がってる。
だけど本来は、嫌われてたんだ。科学、その立場からはね。
僕は光の速さにも理由がある。水で遅くなる割合の理由もある。
重力にも理由がある。そうなってる意味があるんだ原因がある。
出来ればここで順番にその全部を説明していくつもりだ。
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