1.中絶と安楽死。

 

優生思想と安楽死。僕はともに反対してるね。

人工中絶もだ。

 

たぶん皆は正しく思考の回転に載せられてないんだよ。

自分のこととして捉えられてないからだと思う。

他所事、他人事に感じてて真ともに考えられてないんだ。

 

なんの話だったか。何を言ってるのあほの子供を作って

どうするのよって会話を覚えてる。

 

知恵遅れの子が生まれて来るのに、そんなことしたら

可哀想だって言うんだよ。

 

大人たちが常識として語るその言葉を前に押し黙った。

あほの親からはあほの子供が生まれると僕も思ってた。

だからあほの親は子供を作ってはいけないとの論理だ。

 

それは優生思想という考え方だと後ちに全体を知った。

違うのかもしれないけどそういう考え方は全体にある。

社会一般常識に断片的に入ってる。

 

遺伝の常識が浸透したころから科学としての知識活用?

みたいな感じで社会に拡がって論理的な体系としての

優生思想論みたいになってきたんだと思う。

 

ヒトラーのころに国レベルの国策にも採用され始めて

ナチスが滅んでも考えと思想は残り日本でも最近まで

国策としての強制避妊が行われていて世界では今でも

共産圏で強く残っている。

 

今も中国も行われているけど非難するどころじゃない

意識と考え方は世界中に自国にも強く残ってるんだよ。

 

「もう助からないような病気なら苦しむ前に安楽死を

広く認めよう」って合理的なんだって考えだと思う。

 

同性愛を社会が広く認めた宗教のくびきからの解放を

同種の追加と認めろと迫ってるのだろう。

 

それはキリスト教圏の良くも悪くもキリスト教からの

影響を強く受けてる特殊な環境での考えだって思う。

 

同性愛も自殺も何故悪い。=聖書が禁じてることって

一括りになってるんだよ。

 

聖書に縛られてない日本の僕たちからしたら別だよね?

同じ宗教への反発で?同性愛を認めろ?自殺も認めろ?

同じだろ?って違うよってことだ。それはキリスト教

の環境ならではの特殊な価値観だってこと。

 

要するにやも得ない場合は自殺を社会的に認めろって

いうのは根っこがキリスト教徒だからだよってことだ。

 

日本人の僕たちからしたらそれはキリスト教の教徒の

宗教論争だ。キリスト教関係ない日本では並ばないの。